憧れのカラリストをめざして
- あまりにヒマだったからカラーの勉強を始めた
- スクール探し、自分探し
- 経験、実績がないときにあるものは
夢が叶うとき
- インプットしたものはアウトプットしてこそ
- 「ない」モノの数は数えない
- 本当に変えたかったモノは
- 苦手だからこそできること、わかることがある
- 頑張っている自分が好き
独立、そして挫折
- 30歳の誕生日、独立して初めての仕事をする
- 好きなことは仕事にしないほうがいい
- 頑張れないときもある
再出発、カラーコンシェルジュ アモエニタス
- 本当にやりたかったことは
- 言い訳をしない人生を送る
- カラーコンシェルジュ アモエニタスとは
- アモエニタスのミッション ~「色」を通して伝えたいこと
憧れのカラリストをめざして
あまりにヒマだったからカラーの勉強を始めた
私がなぜ、カラーの勉強を始めたのか。
「あまりにヒマだったから」
それが理由でした。そんな安易な気持ちで??
これからカラーの仕事を目指す人たちにとっては、ホッとするかもしれないし、ガッカリするかもしれない・・・10数年前の、それが、私とカラーとの出逢いでした。
25歳、事務の仕事をしていた私は、時間とお金はあるけれど、どこか満たされない毎日を送っていました。時間や気持ちの空白を埋めるための旅行、買い物、習い事。「本当の私はこんなんじゃない」・・・このまま、ただ徒に歳を重ねていくことに焦りを感じ始めていました。
スクール探し、自分探し
その頃買った一冊のスクール情報誌。それを片っ端からめくり、自分のやりたいこと探しが始まります。そして、大学時代、ホテルや結婚式場でアルバイトをし、将来は「ブライダルの仕事をしたい」「一生に一度の、最高にシアワセな瞬間を演出したい」と思っていた私の目に飛び込んだのは、「ブライダルプロデュース」のスクールでした。長い間忘れかけていた夢が、もう一度顔を出し始めます。スクールの体験セミナーに参加し、初めて知った「カラーのお仕事」。ブライダルの仕事をするためには、カラーの知識が必要なんだ!まずは、カラーの資格を取得しよう!
こうして、スクール探し、自分探しの旅が始まりました。
経験、実績がないときにあるものは
それからは、ものすごい勢いで夢に向かって突き進んでいきます。今まで眠っていた全身の細胞が一気に活動し始めました。色彩検定、カラーコーディーネーター検定、色彩士検定。「色彩」と名のつく資格はすべて取り、「カラー」と名のつく講座にはとにかく行きまくりました。パーソナルカラーを学び、イメージコンサルタント、ブライダルコンサルタント、レセプションオーガナイザーの資格を取得します。
新しい仕事に転職しようとするときに、経験や実績がないのは当たり前で、そのときにあるのは、ガッツと資格ぐらい。そのガッツと資格を持って、新しい世界へ挑んだのでした。
夢が叶うとき
インプットしたものはアウトプットしてこそ
短期間でカラーのあらゆる資格を取得したその頃の私は、今までの人生において、最も行動力のあった時期だったといえます。カラーやブライダル関係の人に会っては、「カラーの仕事がしたいんです!」「ブライダルの仕事がしたいんです!」と訴えていました。そして、それを言い始めて間もない頃、夢が叶うことになります。学生時代からやりたかったこと、やりたかった夢、ブライダルの世界へ―。
「ない」モノの数は数えない
自信がない、経験がない、実績がない、場所がない、人脈がない、お金がない、勇気がない、やり方がわからない、、、「ない」モノの数を数えていたら、きっと一歩も踏み出せないでいたでしょう。そして、今でもおそらく、「本当の私はこんなんじゃない」と思いながら、好きなことを仕事にしている人たちを羨みながら、半ば諦めながら、事務の仕事を続けていたかもしれません。
数え切れないほどの「ないモノ」よりも、抱えきれないほどの「夢への想い」のほうがはるかにまさっていました。それが私を突き動かしていたのです。
本当に変えたかったモノは
パーソナルカラーを学ぶ前、私が選ぶ洋服の色は実に偏っていました。ブルー系、グリーン系、白、黒などのモノトーンばかり。赤やピンク、オレンジなどの暖色系はほとんどありませんでした。ところが、パーソナルカラーを学び、自分の似合う色がわかると、ベビーピンク、ラズベリーレッド、ラベンダー、ターコイズ、レモンイエロー・・と、一気にクローゼットの中身が変わりました。
本当に私が変えたかったのは、洋服の色ではなく、自分でした。自分を越えられない自分。自分を制限している自分。自分らしさがわからない自分。初めて着る色、見慣れない色、それらの色を着るのはちょっとした勇気がいりましたが、そんなはじめましての色たちが、私に多くの気づきや勇気、元気や自信を与えてくれました。色の力ってすごい!!
苦手だからこそできること、わかることがある
カラーを学ぶまでは、かなりの食わず嫌いと偏色でした。カラーの仕事をしている人たちは、「小さい頃から色が大好きでした」「嫌いな色はありません」という人が多いけれど、私は、小さい頃から苦手な色が多かったし、食わず嫌いの色もたくさんありました。しかし、だからこそ、わかること、できることがあります。「ピンクが嫌い」という人の気持ちも、「赤は着たことない」という人の気持ちもよくわかる。そして、それを受け入れることにより、楽しむことにより、変わっていくすばらしさも十分わかる。
好きな色と同じぐらい、あるいはそれ以上に嫌いな色には意味があります。そして、苦手な色、嫌いな色にこそ、自分を劇的に変える力があるのです。
頑張っている自分が好き
カラー関係の会社に勤務していた時代は、いろいろな仕事をする機会に恵まれ、たくさんの素晴らしい出会いがありました。学校・企業の講師、パーソナルカラー診断、テキストの執筆、検定試験の運営、ブライダルのコーディネート、プロデュース、商品企画、店舗プロデュースetc 寝ずに仕事をしている自分に酔いしれるほどに、充実した時間でした。念願のカラーの仕事、ブライダルの仕事。初めてマイクをもって人前で話したときのこと、初めてパーソナルカラー診断をしたときのこと、初めてオリジナルウエディングのプロデュースをしたときのこと。今でも、時折思い出す懐かしい日々。
メキメキと自分が成長しているのを感じられた時期でもありました。
独立、そして挫折
30歳の誕生日、独立して初めての仕事をする
その後、やがて独立します。独立して初めての仕事をした、記念すべき30歳の誕生日。早くなりたかった30代。好きなことを仕事にし、自分のペースで仕事ができるフリーランスの立場。すべてが順調のように思えました。
好きなことは仕事にしないほうがいい
転職するときも、独立するときも、自分では考え、考え、考え抜いて決めたことでした。周囲の反対はあったけれども、それでもできる、そんな自惚れにも似た自信がありました。
ところが、フリーになって実にいろいろなことが起こりました。予期せぬ出来事の連続。何を信じたら、誰を信じたらいいのかわからない。人間不信にもなりました。それでも、すべての退路を断っていたので、ただただ前を向くしかなかったのです。ただひたすら自転車をこぐ毎日でした。
頑張れないときもある
好きなことをしていても、頑張れない。楽しくない。
「何のためにこの仕事をしているんだろう、、、」
「どこに私は向かっているのだろう」それが見えなくなったとき、見失ったとき、これほどしんどいことはありませんでした。あんなにやりたかったカラーの仕事なのに。力が出ない。力が入らない。人は、「頑張れ!」といわれたら、「頑張るもの」だと思っていたのに、「頑張れ!」といわれても、本当に「頑張れない」ときがあるのだということに、初めて気づきました。
そして、カラダが悲鳴をあげます。
再出発、カラーコンシェルジュ アモエニタス
本当にやりたかったことは
ある年の秋の終わり、その年も残り1ヶ月ちょっと、という時期でした。体調を崩し、「もう、いいや。今年は頑張らないことにする」そう決めた途端、ものすごくココロが軽くなりました。「頑張らなきゃ」と必死に溺れまいと、もがいていたときはあんなに苦しかったのに、足をついた瞬間、とてもラクになったのです。そして落ちるところまで落ちたら、もう上がるしかない。
これ以上(以下?)、落ちることがない安心感に包まれたのでした。
人って頑張れないときもあるんだということを体験し、人生のどん底を経験し、自分の人生は、自分が変えるしかないんだと思ったとき、これは、心理学を勉強するしかないと思いました。カウンセラーになるためにではなく、自分のココロを知るために。
それから本格的に、心理学、色彩心理、オーラソーマを学ぶことになります。実は、10年前にも一度、オーラソーマと出合っているのですが、そのときは何か違う感じがしました。それから数年後、オーラソーマと再会することになります。何事も一瞬として早すぎず、一瞬として遅すぎず、必要なタイミングで出合うのです。「これこそが!」と思いました。ようやく辿りついた、やっとつながった。そんな感じでした。これから私は、「色」と「心」に関わることをしていくんだと確信がもてたときでした。
内面が輝いてこその、外見の輝きがあります。表面的な色ではなく、もっともっと人間の深い部分を「色」で見ていきたい。
言い訳をしない人生を送る
「今の私は本当の私じゃない」と思っていた20代半ば。憧れのカラーの仕事を手にし「好きなことを仕事にするって素敵」と思えた20代後半。独立し、挫折し、そして、「好きなことなんて、絶対仕事にしないほうがいい」と本気で思った30代前半。それを経て今、「やっぱり好きなことを仕事にできたらいい」こんな幸せなことはないと心から思います。
嫌いなこと、やりたくないことをやり続けるほど、人生は長くありません。「いつか」と思っている「いつか」はきっと永遠にやってこないでしょう。失敗する事よりも、それを恐れて何もしない時間のほうがはるかにもったいない。やれない理由、やらない理由はいくらでもあげられる。けれど、「ほんとは違うことがやりたいのね」「この環境じゃ、やりたいことができないのね」、、、やらない自分を正当化するための言い訳を挙げ連ねるヒマがあるのなら、やったらいい。ほんとに、本気でやりたいことがあるのなら、やったらいいと思います。誰でもない自分の人生なのだから自分が責任をとる。生きることに手を抜かない。一生懸命生きるのが、なんだかカッコ悪く見られる世の中でもあるけれど、私は潔く生きたいし、そんな人たちを応援したいと思うのです。
カラーコンシェルジュ アモエ二タスとは
大学を卒業するとき、いちばん就職したかったのがホテル業界でした。コンシェルジュになりたい、ブライダルプロデューサーになりたいと思っていました。ホテルに欠かせないもの、それがコンシェルジュであり、アメニティグッズです。「Conciergeコンシェルジュ」とは、「案内人」「鍵を管理する人」という意味のフランス語です。お客様おひとりおひとりの持つ“こだわり”や“世界でたったひとつの自分だけのもの”といった「お客様の満足」を探すお手伝いをするのがコンシェルジュ。
カラーコンシェルジュとは、「色」を通して、“世界でたった一人の自分”と出会う旅のサポートをする案内人。そして、ココロのドアを、宝箱を開けるカギが、色であり、オーラソーマ。おひとりおひとりの心のドアを開く、宝箱のカギを開ける、そんなお手伝いをしたいとアモエニタスでは思っています。
「Amoenitas アモエニタス」とは、ラテン語で「快適な、心地よい、かけがえのない価値」という意味で、英語「Amenity」の語源です。アモエニタスでは、「色」を通して、心と身体の「キレイ」と「元気」を、生活の「楽しい」と「心地よい」を、ひとりひとりの「かけがえのない価値」を、創造します。
アモエニタスのミッション ~「色」を通して伝えたいこと
人間「human」とは、色「hue」の人「man」。色を学ぶということは、人間を知ることであり、自分を知ること、そして、自分のなかにある虹色の輝きに気づくことです。
カラーと出逢って10数年。「本当にやりたいこと」に気づくまで、随分長いことかかりました。迷い道、遠回り、行き止まり、、退路を断って突き進んだ日々。最短、最速で自分が進みたい道に辿り付けたらいいなと思いますが、迷ったからこそ、彷徨ったからこそ、遠回りしたからこそ、今ここにいるんだと思います。
変化のある人生を、「Colorful」といいます。それは同時に感動のある人生を意味します。「Colorless」~色のない人生、感動のない人生ではなく、「Colorful」~彩りのある人生、感動のある人生、そんな人生を送れたらと思います。
THIS IS NOW HERE 今を生きる
小椋佳氏は10数年前のコンサートでこんなことを言っています。
「今、混沌とした世の中で、自分がどこに向かっていいかわからなくなることがある。そういう彷徨う状態を、英語で『No where』といいます。その綴りをよくみると、『Now here』今、ここ。どこに向かっていいのかわからなくなったら、今、ここを生きればいい」
つい、私たちは、今ではないいつか、ここではないどこか、自分ではない誰かの人生を生きようとするけれど、そうではなく、今を、ここを、自分を、彩り豊かに生きられたらいいなと思います。どこか遠くを見ていた10数年前。あれからたくさんの時間が流れ、たくさんの経験を重ね、今は、今を、ここを、自分を生きる心地よさを、楽しさを、感じることができるようになったと思います。
アモエニタスでは、「色」を通して、皆さんの中にある輝き、煌き、「かけがえのない価値」に、皆さんご自身が気づくキッカケのお手伝いができればと思っています。